⑥中学生が、スポーツクラブで、鉄棒のトカチェフの練習により、傷害を負った事案(責任肯定)
⑥東京地判平成3年10月18日(判時1406号51頁)
1.事案の概要
昭和62年10月17日、中学1年生のXは、所属する体操クラブで、指導者Yの補助の下、鉄棒のトカチェフ(背面開脚後ろ飛び越し)の練習時に、大腿部を鉄棒のバーに接触させ、鉄棒直下に後頭部から落下し、頚椎脱臼等の傷害を負った。
裁判所は、
①当日のXの疲労状況(トカチェフの練習を実施したこと)や、
②指導者Yの練習指導方法(中学生Xの実力に合わせた段階的練習)に問題はないとしつつ、
③指導者Yが必要な補助措置を行ったとして、指導者Yの過失を肯定した。
他方で裁判所は、有力選手である中学生Xが自発的に練習を行ったこと(危険の引き受け)から、過失相殺に準じ2割の減額を認めた。
2.事実の概要
⑴ 中学生Xの事情
ア 体操経験
- 昭和56年3月(当時6歳)から、全国に70余りの施設を有する体操クラブで練習を開始。
- 昭和57年8月、指導者Yの勧めで選手コースに移り、週6日練習。
- 昭和61年(当時12歳)、全日本ジュニア個人総合5位。
- 将来の日本代表入りを期待される選手だった。
イ トカチェフの修得段階
- 昭和60年12月、トカチェフの練習を開始。
- 昭和62年春、骨折のため練習中断。
- 同年7月、トカチェフの単発練習。
- 同年夏休み明け、トカチェフを演技に組み込み練習。
- 同年10月、補助を外して練習を行い、成功率50%。バーを飛び越えられない失敗はなかった。
- 事故1週間前、トカチェフを入れた演技を試合で実施。バーを飛び越した後、鉄棒を掴み損ねて失敗。
⑵ 事故までの経緯
- 昭和62年10月16日、練習休み。
- 同月17日、翌日の試合に備え、他の選手とともに調整練習。事故発生。
⑶ 事故時の状況
- 18時30分、選手コース所属の他の者と一緒に、あん馬、平行棒等を練習。
- 鉄棒では、着地側には厚さ計53㎝、バー直下には厚さ計26㎝のマットを敷いていた。
- 指導者Yは、バー直下付近で補助。
- 19時50分、トカチェフ実施。
- 大腿部を鉄棒のバーに接触させ鉄棒直下に後頭部から落下。
- その際、指導者Yは、中学生Xがバーから手を離した時点(①時点)でバーを飛び越えられないことがわかり、鉄棒を掴めなかった時点(②時点)で落下するとわかったが、それまでの失敗のように、足から落ちるか尻餅をつくものと見込み、身体を抱きとめる挙に出なかった。
- 指導者Yは、中学生Xが鉄棒を掴みきれなかった直後(③時点)、頭から落ちつつあることがわかり、手を差し出したが、身体に触れることもできなかった。
3.過失の有無
⑴ 中学生Xの疲労状況
事故時の失敗態様は普段と異なっていたが、
- 前日の練習は休みであり、
- タイミングのずれからバーに接触して落下することはよくあることであるから、
中学生Xが事故時に過度に疲労していたとはいえない。
⑵ 練習指導方法の妥当性
に過失はない。
⑶ 安全マットの管理
バー直下にマットを何枚も重ねて敷くと補助者の足場が不安定になり、補助の妨げになるため、本件では、安全マットの管理に過失はない。
⑷ 補助の適否
- 注意義務の内容
→そもそも補助行為は、演技者が技に失敗して落下する際にその身体の安全を保護することを目的とするもの。
→指導者Yは、失敗に基づく落下の可能性に備えるとともに、落下の方向が頭からであるか足からであるかにかかわらず、中学生Xがバーを飛び越せず失敗することがあらかじめ分かった以上、(①時点で)必要な補助に動くべきだった。
- 結果回避可能性(過失がなければ事故は起きなかったか)
→指導者Yが、その時点(①時点)で落下に備えつつ、実際に落下が現実化した時点(②時点)で即座に手を差し出していれば、中学生Xの体に手が触れないということはありえない。
→抱きとめるか、衝撃を弱めることによって、傷害を負わせず、又は重篤な結果の発生を防ぐことが可能であった。
- 結論
→①時点で落下に備えなかった指導者Yには過失がある。
4.過失相殺
- 中学生Xは、難度の高いトカチェフへの挑戦を任意に選択
- 危険が現実化した事情は、損害の公平な分担という不法行為の理念に則り、過失相殺の場合に準じて減殺すべき
- 本件では、トカチェフの成功率、中学生Xの年齢、指導者Yの練習計画、指導等の総合考慮し、
→損害額から2割を減殺すべき。
5.コメント
本件は、事故発生時の補助内容が十分でなかったとして、指導者Yに過失が認められた。
既に通し練習に組み込み、試合でも実施していて、成功率50%で、バーを飛び越せない失敗はなかったという場合でも、トカチェフという(当時の)中学1年生にとって一般に危険な技を行うにあたって、補助をする指導者には、失敗に備え「準備する」義務があるとされた。
高校生が部活動で鉄棒の後方屈伸二回宙返り下りの練習により傷害を負ったが、指導者の責任が否定された②広島地判昭和53年5月23日(判時911号148頁)と似た事案であるが、結論が逆になった理由は、補助者の行為により結果を回避できたか(結果回避可能性)の判断の違いにあるだろう。
本件は厳しい判断ではあるが、指導者自身が補助についていたのに(油断で初動が遅れたため)触ることもできなかったという事実認定がされており、注意義務違反(結果回避義務違反)を認めた判断はやむを得ないだろう。
なお、本件では、中学生が寝たきりになったことで、将来得られたであろう所得(逸失利益)や、将来の介護費用等の額が膨らみ、過失相殺後でも1億円をゆうに越える高額の損害賠償請求が認められたことで、当時マスコミでも取り上げられたようである。
蛇足だが、その後中学生Xは、事故とは別の理由(呼吸を補助する医療器具のトラブル)により19歳で死亡したようで、上記判決で損害額が膨らむ理由となった逸失利益や将来の介護費用は発生し得なくなったが、そのような将来の事情で、過去の判決に基づく損害賠償請求義務が影響を受けるものではない。